amazonにオーダーを出したそのときから、これが届いた日には、こうすることを決めていたんだと思う。

闘病記。本人が綴った本と、その母親が綴った本。

ただ無心に読み続けた。

巷では、『泣ける本』と言うのがブームと聞く。阿呆らしい。
また、何かのCMでは、『感動の連続』とか映画の感想をほざく輩も居る。
…まぁ、一国の代表(?)自らが、声高らかに『感動した〜』なんて宣う国だ…所詮、そんなもんだろう。

・何で読んだ?
この疾患『だった』親族を持つから。
数多ある疾患の中で、いろいろな意味で印象深く、この胸に焼き付いているから。
それと、一抹の不安…その親族の血を受け継ぐものとしての、言いようの無い不安…。

・何を得た?
例えいかなる状況であっても、精一杯生きなければならないこと。
この一瞬、一瞬を大切に生きなければならないこと。
…これを再確認した。

・嘲笑
とかく、この類の本を読んで、「こんな頑張っている○○○さんを知って、自分は(幸せだな/だらけているな/恵まれているな)と思った」…なんてヌカす奴が多い。

言いようの無い違和感を感じる。
自分より辛い境遇の対象物を見つけて、喜んでいるに過ぎない気がする。
単に表現力が欠如しているだけなのか、それとも、本当に前述の通りなのか…。

・改心
こういう本を、そういう対象として読んでは失礼だと思うのは、単なる独りよがりだろうか?
それもそうかも知れない。本は、誰かに読まれ、読んだ誰かの心の琴線を揺らす事が出来れば、それこそが本望。
どんな音色が奏でられるか…そこまでは望んでいないのかもしれない…。

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